突然ですが私の趣味は城巡りです。
休日暇があるとひとっ走りして近隣の城郭を見て歩いてるんですが
そんな私はえろサイトでして18禁のえろダムサイトなんですから
誰がそんな話聞きたいんだよとか、至極まっとうなご意見は封殺して
お前らみんな俺の歌を聞け(`・ω・´)
まぁ興味のない皆様におかれましては
今日の日はさようなら(´・∀・`)
で、週末を利用してちょっと山陰地方まで行ってきたのですが
山陰地方といえばもちろん尼子氏3代の月山富田城です。
知らない子はどんどん置いていきますよがっさんとだじょうですよー
先日島根県の石見銀山が世界遺産に登録された関係で
この時期の山陰観光はみんな石見銀山行きだと思われてる中、
私は見向きもせずに正反対の山の中です。
いや、ホントはちょっと後ろ髪ひかれてましたけど(´・∀・`)
で、月山のふもとの道の駅にあった城模型。
それに私の歩いたのを重ね合わせるとドン
こんな感じですよ。
戦国時代屈指の巨城で、全部あわせたら100以上ある曲輪(緑の部分ね)は
さすがに回り切れないので観光向けの主要なところだけを。
観光客なんてほかに2人くらいしかいなかったけど(´・∀・`)
そんな具合で登城口に続く坂道を登ると最初の千畳平への階段が
この階段を上ると千畳平です
( ;゚Д゚)
(((((((( ;゚Д゚)))))))
あまりにガクブルして千畳平の写真撮り忘れたw
ありていに申し上げますと雑草の生い茂った何もない広場です
あるものと言えば戦国の時代からそこに立っていた椎の木くらい
尼子家と毛利家の皆さんで賑わっていたのも今は昔、
木漏れ日に照らされたお茶屋さんも店じまいして訪れる人もなく
ただ静かに寂れた古城にたたずんでおりました。
あまりに誰も来ないから寂しがって
早く戦争になーれとか言ってる椎の木の声が聞こえてくるようです。
たぶん言ってません(´・∀・`)
ちなみに太鼓平も同じようなものです。
つか写真撮り忘れたw
その先の奥書院には尼子家に仕えた名将山中鹿之助幸盛の像が
鹿之助ってどんな人かと言いますと
ぐぐれ。
いやそれはあんまりですんで簡単に説明しますと
衰え行く尼子家を支え続けた忠臣で、
若き日に主家を助けうる人物になるために天よ我に七難八苦を与えたまえ、
って誓いを立てたどMの人です。
落城した富田城から脱出する際は
便所に飛び込んで裏のくみ取り口から逃げたという
スカトロマニアでもあります。
その後は七難八苦というか七転八倒の人生を歩み、
何とか信長の援助を得て尼子家の忘れ形見と挙兵したのはいいものの
信長がさっさと撤退してしまい、ハシゴを外された格好の鹿之助は
ついにお縄となって34歳の生涯を閉じるのでした。
詳しくは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E5%B9%B8%E7%9B%9B興味がないなら信長の野望をやる時に尼子家で唯一使える武将と覚えておきましょう。
奥書院を抜けると少し山を下ってからまた上り
せっかく上ったんだから下りるなよとかひとりで悪態をついてると
いい塩梅に息の上がったあたりで山中御殿に着きます。
山中御殿ってのは山中鹿之助が住んでたからやまなかごてん、
じゃなくて山の中腹に殿様が住んでたからさんちゅうごてん、だそうです。
普通お城ってのはてっぺんにお殿様が住んでるわけじゃなくて
ちょっと低いみんなで集まるのに便利なあたりにお館があります。
だっててっぺんに住んでたらみんな集まるだけでくたびれちゃいますからね(´・∀・`)
このあたりに殿様の御殿があって政治と生活をしていたんだそうです。
あとオルドも(`・ω・´)
殿ガンガ
生活の場でもありますから井戸とかもあります
どこだよ(´・ω・`)
看板の矢印の先端をまっすぐ下におろしたあたりに
ちょっと毛色の違う茂みがあると思うんですが多分それが井戸です。
何で多分っかって言うと、調べに行ったらハチが出たから逃げたんです。
1匹だけだったけど巣があったら怖いし(・ω・)
更にもぉひとつ井戸
お城と井戸は切っても切れない関係でして
コーエーのゲームだったら城の中にいるのは武将ユニットと数字ですが
リアルにいたのは生の人間ですから水も飲むしご飯食べるしトイレも行くのです。
そしてそのお城を攻めるときに最初にするのは守備兵の飲み水を奪うことです。
だから井戸はロマンで井戸水には感謝しなくちゃいけません
だいぶ汚いけどね(´・∀・`)
山中御殿に隣接してあるのが通称花ノ檀と言われる重臣の住居跡
殿様のお館との位置関係から身分の高い家臣の居館と推測されてるそうです。
建物自体は近年再建されたものですがちゃんとした発掘調査に基づいて
確かにこーゆー形で建物があったことは裏付けられてるそうです。
建物の前には兵たちを集めたと思われる広場もありまして
更にこの曲輪の下には兵たちのために打ち固められた通り道とかも見つかっております。
TSU ☆ RO ☆ A ☆ TO
英語にしたほうがよくね(´・∀・`)
さて山中御殿の奥から上に登るといよいよ本丸に向かいます。
ここまでも結構な坂道を登ったり下りたりしてるのですが
ここからは本格的な山道を必死に登ることになります。
どのくらい必死かというとふもとの道の駅で杖を貸し出してるくらい。
まぁ平気だろうと高をくくってましたが結構しんどかったです+.(・∀・)゚+.゚
足軽適正的にはBくらい必要です。
健脚なら息がゼェゼェ言いますけど10分強、
看板には約20分って書いてありましたし、
自信のない方でも休み休みで30分~40分くらいでしょうか。
途中にいくつか曲輪があったりするので
余裕があったら覗いて見ましょう
埋まってますけど井戸跡とかもあります。
登って登って、そろそろ嫌になってきたあたりで
鬱蒼とした森に明るい切れ目が見え始め
頂上が近づいてきたこと知らせてくれます。
ここから先がこのお城の最後の砦、
頂上の三の丸、二の丸、本丸です。
お城って言うと大阪城とか名古屋城みたいな
どーんって大きい天守閣を想像する方もいるかと思いますが
この月山富田城のような戦国時代に実戦を想定して建てられたお城では
あんな目立つものありません。
わざわざ敵にここを落とせばゴールだよ、って教える必要もありませんし、
あの高い塔は平和な時代に俺はこんなに偉いんだぞって見せびらかすためのもですから
戦国時代にはそんなことをしてる余裕はありません。
そんなもの作るお金があるなら石垣高くしたほうがましです。
戦国時代には石垣と土塀があれば上等、
むしろ土塁に柵立てただけのお城なんてのもたくさんあって、
それを知ってれば月山富田城はすごく立派なお城なんですが
知らない人が見たら石垣以外何もない廃墟です
実際地元の人でさえ
私が「上にあるお城を見に来ました」って言ったら、
「あぁ、でもあそこって石垣があるくらいで何もないよね」
みたいに言ってました(´・∀・`)
石垣がこんなにたくさんあるんだよ( ´ ・ ∀ ・ ` )
三の丸と連続してる二の丸を抜けると
最後の最後、本丸にたどり着くのですが、
その手前には最後の防御機構、堀切があります
深さにして7、8メートルあり、全国的にもかなり立派なもののようです。
城歩きはアップダウンが多くて疲れるのですが、そもそも敵を疲れさせるための施設なので
すいすい楽々散策できないようにできてるんですよ。
まぁ普通に歩く分には疲れてめんどくさいぐらいですが、
向こうから矢だの鉄砲玉だのが降ってくる中を散策するのは
めんどくさいってレベルじゃないので、こう言ったまっすぐ歩けないように
掘り下げただけの堀切りでも十分効果を発揮するわけです。
そしてこの堀切りを超えて登ったところがこのお城のドンつき、
ゴール地点の本丸です
正直ここまで敵が来てたらもぉだめぽって感じの最後の最後に立て篭もる場所で
奥の奥には戦国の頃からあったといわれる神社もあります。
神社の裏はとても人の登れそうもない急峻な坂に原生林が生い茂り
裏手から攻められる心配はありませんからほとんど何の防御施設もありません。
つかこんなところから大軍が攻めてくるわけありません
ただお城には搦め手(からめて)って裏道がありまして、
今でも使われる搦め手から攻めるって言葉もあるように、
お城の裏から下に降りられる小さな通路もあります。
多分これがそれだと思うのですが
何の解説もなくどこに通じてるのかも分からなかったので
怖いから下りるのはやめときましたw
こんな感じで写真とうろ覚えの解説でお届けした月山富田城でしたが
いかがでしたでしょうか?
まぁここに来てる人の9割方興味ないと思いますけど
みんなもちょっと興味を持ってみるといいですよ+.(・∀・)゚+.゚
都市部からは離れた山深いところにあるし、山奥の更に山の上にあるので
これと言った観光地っぽい施設は何もありませんが、
それでもハァハァできる変態さんにはとても素晴らしい史跡でした
みんなももっとお城とか行くといいよ+.(・∀・)゚+.゚
- 2007/11/05(月) 23:21:05|
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